今日はこれ聴いた。

聴いた音楽について書くブログ。

名刺代わりの⑥ナードマグネット『透明になったあなたへ』

「百合が好き」と、インターネットだけでなくリアルでもわりと公言していたので、周りに『百合といえばこいつ』みたいに思われています。先日『同志少女よ、敵を撃て』の感想を求められてやや困りました。読んだのだいぶ前だし覚えてないよ!

なんですけど「百合が好き」って言うのやめるか〜と最近思うようになりました。現実問題としての困難や同性同士の連帯と、コンテンツとしての『百合』やその楽しまれ方の乖離に納得できなくなってきたからです。これまでは現実とコンテンツの間にある溝に違和感を残しつつもまあ楽しんでおりましたが、この違和感を無視できなくなった。同性同士の恋愛を取り扱うことそれ自体になんら問題はありませんが、異性愛と等しく取り扱え!と声高に叫んだ瞬間、「じゃあ異性愛と何が違うんですか?」ということを考える必要が出てくる。例えば「同性同士の葛藤が云々……」みたいな話は同性間の関係が一般的〝じゃない〟とどこかで思うからこそ成り立つものではないか。そういった部分を無視して『百合』という言葉を使い続けるのは、あえて強い言葉を設定すると「差別」をむしろ助長しかねないんじゃないかとより強く感じるようになった。何度も書くけど、そういう関係性を描くことや、それを作品として楽しむ(?)ことを問題視しているわけでは一切ないんです。つまり、『百合』という言葉を使うことで生まれる「他人事」感に自覚的でありたい、という話。現実的に、様々な角度から様々な問題を解きほぐしていかないといけないモノを『百合』の一言で済ませるのは乱暴すぎないだろうか、という話。あとシンプルに「声の大きい〝百合オタク〟と一緒にされたくね〜」という気持ちもありますがこれはただの悪口ですね。

こういう話をする時に自分がBLの話をできないのは片手落ちだなともめっちゃ思います。

 

こうして『百合』を引き合いに同性同士の関係について触れましたが、これに限らず、マジョリティ側からマイノリティ側に〝平等〟を押し付けてしまっては、形を変えただけで本質的には不理解と変わらないのではないかと思います。それって寛容と言えるのか?

そういうことをよく考えるきっかけになるのが今回のアルバムです。

 

⑥ナードマグネット『透明になったあなたへ』

Dear My Invisible Friend

Dear My Invisible Friend

 

男女の特定をしない人称を使う、とか、そういう目配せはある意味当たり前になってきていると思います。いろんなアーティストのインタビューとかでもよく見る話です。なんですが、それって形式的な話に囚われていないか?とたまに思う。ていうかそれを「配慮」として考えるのならなんて傲慢な話だよと思います。結局は言葉を使う側と受け取る側、双方の問題意識次第です(なんも考えず使っても慎重に使っても、表面的には同じ言葉なので、言葉尻を捉えて突かれる今の時代においてはこだわりがないなら気をつけておきなよとも思いますが)。

 

ようやくナードマグネットの話をしますが、このアルバムには「THE GRAET ESCAPE」という曲があります。この曲の歌い出しは「ヘイボーイ」であり、「ヘイガール」と続きます。ならばこの曲が呼びかけているのは文字通りボーイとガールだけなのでしょうか? そんなわけはないのです。ここで呼びかけられるのはボーイであり、ガールであり、「ボーイ」「ガール」という言葉で括られてしまう人たちです。つまりみんなです。この曲を聴いてる僕であり、貴方です。このアルバムはそう思わせてくれる。

それはどの曲においても、さまざまな角度から自分の在り方や立っている場所に悩む人たちを描き出しているからです。置いてけぼりを作りたくない。そういう風に言葉を尽くしているからこそ、「ボーイ」と「ガール」が「みんな」になる。そんな曲の最後はこんな歌詞。

忘れないで 忘れないで

何もない君はこんなにも素敵だよ

(THE GREAT ESCAPE

「ボーイ」「ガール」、つまり性別に依拠した言葉での呼びかけが、「何もない」=性別すらも取り払って眼差した「君」を肯定する歌になる。外から押し付けるのではなく、内側にある凝り固まった観念を解凍していくように、聴く人を肯定してくれる。素敵な曲だなと思うし、こうやって歌うナードマグネットは信頼に足る、と俺は思っています。

 

このアルバムの曲はライブ映えする曲も多くて、ライブハウスでデカい音で聴くとそれだけでかっこいい。そのカタルシスと歌詞の良さで俺はナードマグネットのライブに行くたびにべしょべしょ泣いています(毎回マスクの下が気持ち悪くて仕方がない)。ナードマグネットのライブはデトックスでありセラピーです。

 

音楽なので好き嫌いがあるから、思想が同じでも音楽的にハマらないアーティストなんてごまんといるし、作り手の考え方が合わなくても、それを知らないまま口ずさんでいる音楽だってある。

そんななかで、音楽的にもすごく好き(ナードマグネットをきっかけに俺はパワーポップを意識して聴くようになった)で、このバンドを好きでよかったと思える歌詞を書いてくれるナードマグネットをリアルタイムで聴けていることは、俺の人生における奇跡の一つなのかもしれないなあと思います。